出産後の私 手術そして闘病生活 1 2 産婦人科と
血栓症の関係について
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其の2  ここからはノートに記録してあったのをまとめています(2000年からの話)
2000年1/17(月) やっと退院
ryuと生活するのはまだ無理なので週末にでも迎えに行こうと思っていた
退院した日、夕方から発熱 37.5度
左足ふくらはぎ 神経痛のように痛くなる
夜中太もも同様 だるく、痛くなる
1/18〜/21 この日あたりにかけて 熱37.4〜37.9度まで
足は夜眠るのがつらいほどになる
1/20(木) あまりにつらいため外来へ
血栓かもということで血管外科外来診察
足は腫れていないためになんでもないとの診断
1/21(金) 発熱が続き、足の痛みも変わらずまた外来へ
病院に着いた頃歩くこともままならず車椅子で病院内移動
血液検査の結果 炎症反応が高い
整形外来も診察 レントゲンを撮る
様子がおかしいため入院になる

使用薬 点滴 ヴィーンDビタメシン+ビタC
アクチット
アミノフリード 全て栄養剤

ユナシン3g 
ハベカシン200r 共に抗生剤朝夕
飲み薬 ジソペイン メチコバール ムコスタ
座薬 ボルタレン50

入院して夕方から足が腫れてくる
1/22(土) 足の腫れひどくなる 熱は微熱程度
1/23(日) トイレに行ったときに手術の傷跡から血のようなものがでていた
傷口が少し開く 消毒 培養
1/24(月) 朝 採血 炎症反応少し下がる 血小板18万
午後CT検査 検査室では担当医と血管外科の先生が映像を見ていた
寝ているときには左足を常に高くする
1/25(火) RI検査(ラジオアイソトープ 血流シンチグラフィ ペノグラフィ)
両足の甲 静脈より造影剤を入れて検査
全身と肺の血の流れを確認
1/26(水) 点滴 アミノブリードなくなる
ブドウ糖+ヘパリン4000単位開始
24時間点滴 ヘパリンは血を固まらないようにするため それは副作用でもある
足首の腫れ ふくらはぎ 少し楽になる
パンパンに腫れていたのがタプタプ程度になる
1/27(木) 採血 炎症反応 11(入院時)→ 1 血液検査はほとんど正常値に戻る
RIの結果 肺は大丈夫だが念のためCTを撮ることになる 太ももに
血栓
しばらくはヘパリン入りの点滴を24時間続ける
血管が詰まっていることに対して何故かバイパス(血の道)が出来ているから心配ない

内科的には病棟内を歩くのはOK
外科的にはまだ安静 と言われる どっちにしろ・・・と?
1/28(金) AM1:00すぎ 血栓症のことを考えすぎパニックになる
胸が苦しくなり心臓の鼓動が速くなるのがわかる 脈も速くなる
看護婦さん、医師と話をし少しドキドキが治まる

採血
点滴 アクチット なくなり フィジオに変わる
CT検査 肺 腰 太もも

診断の結果 深部静脈血栓症 と診断される
原因 特定できず
可能性 手術後の血管炎症 手術後動けなかった(私はそれでも身体を動かしていた)

現時点では肺に血栓は飛んでいない(普通、症状が出てから1週間以内に飛ぶ)
今ある血栓はなくならない
完治せず
2週間ぐらいでバイパスが出きるため血流には問題ない
新しい血栓が出来たら小さいのは肺に飛ぶ可能性もある「肺塞栓症」
肺にとんでいないかを時々調べる必要がある
足のむくみとは一生付き合う
1/29(土) 点滴 ヴィーンD+アクチット なくなる (食事がとれるようになったため)
風邪をひいたようだ
1/30(日) 熱が上がる 咳をするとおなかの傷が気になる
1/31(月) 熱下がる
Ryuを一ヶ月半ほど夫の両親にお願いしていたが・・・その後、北海道の私の両親の元へ。
Ryuと本当に離ればなれになってしまった。1/26に会ったのが最後になってしまった
北海道は遠い。
夫が週末にRyuを連れてきてくれるのを楽しみにしていた・・・
やっとお座りできるようになった姿も病院の待合室で見た。

だけどしばらく逢えなくなってしまった。

結果的に3月に私が退院して半療養のために実家へ帰ったあの日まで・・・Ryuには逢えなかった。
時々かける病院の公衆電話。
電話の向こうから聞こえるRyuの声。

涙が出た。
2/1(火) 抗生剤の点滴終わる
1/23に開いたおなかの傷を培養した結果 MRSA がでた
何故今になって MRSAなのかという疑問 保菌していたとのこと
高熱の時の
抗生剤濫用が原因 と思われる
2/2(水) RIの写真とCTのリアルタイム血流が一致しない
CTでは流れている
明日再検査をする予定 いずれはMRIも検査する
2/3(木) 採血 RI検査
採決の結果 血が止まりづらい為、点滴ヘパリンの使用継続を考えるとのこと
(継続すると怪我などをしたときに血が止まらなくなるので困る)
2/4(金) ヘパリン4000単位から3000単位へ
傷口別の所が開いているよう 夕方担当医に診てもらい消毒 表面上の傷であろうとのこと
前日のRIの結果
血栓の範囲が減っている
溶けてなくなったのか、細かくなったのか、肺には飛んでいず大丈夫とのこと

ヘパリンは週明けまで点滴しその後飲み薬 ワーファリン に変えるとのこと
ワーファリンはヘパリン同様、血が止まりづらくなると言う副作用あり
(歯を抜くと出血がとまらない、骨折、交通事故でも同様 打撲にも気をつけること)
その他 催奇形ということで
妊娠は御法度
ビタミンKは薬の作用を弱めるのでダメ
納豆を1年間食べませんでした 大好きなのに
筋腫にしろ血栓症は妊娠しづらい
2/5(土) 採血
トイレに行った後左足、多少赤黒い しばらくすると戻る
2/6(日) 風邪だいぶん良くなる
2/7(月) 明日から短い距離歩けることになった 今日まで車椅子
2/8(火) 採血
ワーファリン 1mg1回1錠 1日3回
今日から歩く 近いところのトイレ往復 戻ってくると血流は悪いのか暗赤色
2/9(水) トイレなど往復歩くが血流悪し 足もだるい
一時歩き中止 車椅子との併用
2/10(木) MRI (おなか)
2/11(金) 傷口消毒 これから毎日
2/12(土) 歩く距離を少し伸ばす
2/13(日) 入院してから体温が高い 微熱程度だが
2/14(月) 採血
MRI (腰)
点滴全て終わり
2/15(火) ワーファリン朝夕1錠ずつ
2/16(水) 採血
RIの結果 おなか近辺の血管 見えない
CTの結果 おなか近辺の血管 見える
MRIの結果 おなか近辺の血管 見えない
もしおなか近辺の血管が詰まっていたら太ももの血栓より肺に飛ぶ確率が高い
右足の付け根から直接静脈に造影剤を入れて検査をする
(カテーテルによる造影)かどうかという話がある
リスク→血が止まらなくなる 腎臓にも負担 血管が傷つくこともあり 
検査中に血栓が飛ぶこともある
2/17(木) 栄養士さんより栄養指導 ワーファリン服用中はビタミンKをとれない
2/18(金) 夕方お湯を汲みに歩く
2/19(土) 尿検査
弾性ストッキング を買う
手術後のドレーン跡が膿んでいた
2/20(日) 弾性ストッキングを履き歩いてみる
ドレーン跡部分麻酔をして針を刺し注射器で膿を抜く 傷口を少し開き乾かす

次から次へと色々な事が起こる
2/21(月) 採血
2/16の検査の話、
造影中のリスクが高いためカテーテルによる検査はしないことにする
傷口の膿を抜いてもらったせいか楽になる
2/22(火) 距離を伸ばし歩く練習
2/23(水) 採血
2/24(木) 歩くことにも慣れてきた
ストッキングを履かずに長く歩くと足色が悪い
2/25(金) 私の誕生日。夫はアメリカ出張でいない 去年も私は病院で誕生日だったな〜

おなか近辺の血液の流れはCTでは見えているから大丈夫でしょうとのこと
打撲プラス鼻血も出やすいかもということで日常生活は気をつけるようにとのこと
少しぶつけても内出血しやすい
2/26(土) 歩くこと順調
2/27(日) 微熱があるが体調はOK
2/28(月) 平熱になった
2/29(火) 熱もなく歩きも順調
3/1(水) 階段上り下り1階分往復
3/2(木) 今日も階段上り下り 足は痛くない
3/3(金) 毎日階段上り下り
3/4(土) 採血
階段上下
3/5(日) 階段上下
3/6(月) 階段上下
3/7(火) ワーファリン 今日から2.5錠
3/8(水) やっと退院
長い入院生活でした

1999年12月13日子宮筋腫の手術をするために入院してから、4ヶ月、(一回退院したにもかかわらず再入院となり)私の長い入院生活は2000年3月8日に終わりました。

その後、薬は1年間飲み続け今も毎日弾力
(弾性)ストッキングを左足にだけはき浮腫を防止しています。
履かない日が続くとむくみます。
今現在、筋腫は私の体の中にまた出来ています。
新たなものが。深部静脈血栓症については再発はないとは思いますがこの4ヶ月間は色々なことがあり私にとっては今はいい経験となりました。

夫共々勉強もしました。 子宮筋腫の手術をうけなければ深部静脈血栓症という病気にもならなかったかもしれません。今となっては遅いのですが・・・。
手術を受けなければ傷口がきちんとしていればMRSAになんかならなかったのかもしれない
手術をうける前にもう少し時間をかけて調べて見る必要があったかもしれません。
血栓が肺に飛ぶのではないかそうしたら死んでしまうのではないかと怖くなって眠れない日もありました。

これも医療ミスの一つかもしれないと考えたこともあります。
2度の手術後のあとの高熱。病院側からいわれた、センターが年末年始だったための血液検査が出来なかったこと。(血は採れたけど検査が出来ない)
婦人科系の手術にも血栓の心配をしてその対策がなかったこと。(足を高くするとか弾性ストッキングをはかせる、無理にでも身体を動かす、安静にしている状態の人には予防の点滴など)病院によっては術後に血栓予防の処置をしているところもあると聞いています。
それらが重なったため私の病気は発症したと考えます。

病状説明の時、担当医(執刀医)は説明をしてくれましたがこのことについては口を濁していたと私は思います。大学病院なので担当医以外に上の人間がいます。その人間からもきちんと説明を受けたとは思っていません。
夫も不信がありその後担当医とすら話すことを嫌がりました。
でも病院と戦うのは時間とお金と労力がかかります。勝てるという保証もありません。
死ななかっただけ良かった。と思うことにしました。(2005年9月加筆)


子供は当時生後4ヶ月。退院したときには7ヶ月。予定では子宮筋腫の手術だけのはずだったのに・・・2週間ほどの手術入院で済むはずだったのに。
離乳食の時期を双方の両親にやってもらい私は母として何もできませんでした。
最初の1ヶ月半は夫の両親に預け、その後は北海道の私の両親の元へ行ってしまいしばらく会うこともできませんでした。
退院して3月19日私は北海道に帰り実家で子育てを手伝ってもらいながら、
日常生活のリハビリをして6月になって夫の元へ帰りました。
両親や夫、子供には迷惑をかけてしまったと思います。特に夫にはお金のことと約半年もの間一人で生活をさせる事になってしまいごめんなさい、ありがとうの感謝の気持ちでいっぱいです。
子供と離れて暮らしていた日も子供にとってはまだわからないうちで良かったのかもしれません。
今では覚えていませんから。
おかげで人見知りをしない子に育ってくれました。


長々と書いてきましたがこれで終わりではないと思います。
子宮筋腫も深部静脈血栓症においても、これから妊娠する方
(自分も含め)、もし事故にあって寝たきりの時間が長い方、
長距離飛行機に乗る方(エコノミークラス症候群)その他の方にとって少しでもお役に立てばと想い書かせてもらいました。

2005年9月加筆・・・現在も弾性ストッキングを左足にだけ毎日履き続けています。あれからもう5年以上も経つのですね。
カルテの保存も5年。そして破棄。もう私のカルテはないようです。
もう少し早くつっこんだ調べをすれば良かったな〜と今更ですが・・・後悔(T_T)

弾性ストッキングを年中履いているせいか・・・スカートをはく機会もすくなくなったな〜。
一日ぐらいのお出かけの時にははきますけれどね^^

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