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2 手術そして闘病生活 其の1(1999年12月からの話)
出産前に私はRyuを産んだら子宮筋腫の手術をすると決めていた
簡単なことだと思っていた
夫もそう思っていた
私の場合は子宮を全部摘出するのではなく残すという方法 筋腫の部分だけ取り除く
子宮筋腫の手術は簡単なこと・・・実際は簡単なのかもしれない
けれど私にとってはそれで終わりではなかった
出産後も定期的に病院へ通う
入院12/13、手術日12/15
手術前までにしたこと
MRIで筋腫の詳しい位置を調べる
入院前日 Ryuを夫の両親に預かってもらう
入院中、薬の影響がないときは絞っていたけどほんの少し
気休め程度
入院当日は夫が来てくれた
全身麻酔のこと不安で仕方がなかったので心強かった
手術室に入るまですごくドキドキしていた
手術室・・・テレビで見た感じと大体同じかな・・・わりと冷静だった
腰に麻酔をうち・・・顔にも酸素マスク?麻酔を嗅がされ? 数を数えてくださいと言われ
1,2,3,・・・・・そこまでの記憶
その後は手術が終わり手術室で覚醒し回復室で完璧に目覚める
夫曰く 手術が終わって出てきた私は 轢かれたカエル の様だったそうです
要するにぐったりしていたということだと思う
それからは毎日回復に向かっていくはずだった
普通は2日目ぐらいで歩き徐々に回復するはずだった
歩くことは出来たけれど手術の日から日記は途絶えたまま
書く気力がなかったのかわからないけれどほとんど書いていない
今思えばもっと書いておくべきだった
ある日縫った傷口から膿のようなものがでていた微熱も続く
毎日続くので検査をすると(CTかMRIどちらかをやった)
子宮の裏側に炎症ありとのことで術後1週間しかたっていないのに
再手術
おなかをまた開くことになる
今度の手術の日時は急に決まり心の準備もなく手術室へ向かう
不安な私に婦長さんが大丈夫よと声をかけてくれたことだけが記憶に残っている
日付も覚えていない たぶんクリスマス前、12/23だったと思う
夫曰く 2度目の手術が終わり出てきた私は 瀕死のカエル の様だったそうです
1度目の手術から体力が回復していないのにまた2度目の手術
私は術後から毎日熱が上がり座薬を使い熱を下げるという日の繰り返しになって
歩いたりもするけれどほとんどが寝たきりの状態が続いた
40度近い熱 ボルタレンという座薬、効き目は12時間
12時間後にはまた熱が上がっている また座薬で下げる
27日だったか私の両親が北海道から飛行機で来る
死ぬほどじゃないけれど元気のない私を励ましてもらうため夫が呼んだのだった
熱の原因が判らず病院は年末年始の休みに入ってしまった
病院でのお正月
毎日違うお雑煮がでた 少しは食べられた
でも熱は相変わらず、トイレに起きるのもやっとという有様
ポータブルのトイレが役にたった
一人っきりのお正月で良かったのかも・・・だって恥ずかしいもの^^;
血液検査に出した結果はお正月明けじゃないと判らない
そして病院が平常になって私の熱もやっと下がった
体重が一気に5〜6s落ちた
病気で理想体重になった 退院後すぐ体重は戻ったけど
血液検査の結果
タゴシットという点滴による抗生剤での発熱とわかる
要するに薬によるアレルギーを起こしていたのだ
平熱に戻り10日ほど過ぎてやっと退院となる
予定では2週間の入院で年内に退院できるはずだったのだ
それが炎症、再手術、原因不明の高熱で1ヶ月の入院となってしまった